即興はおもしろい

http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/yQ2RtYRoAHk
ジャズをやったせいもあり、映像を作る時も自然とそういうほうに流れた。脚本はなく、たまにメモを書いていくと「え、本がある!(けらけら)」などということもあった。ほかの理由としては、そもそも映画は興味もないしストーリーも作れない。ある意味逃げでもあるかもしれない。出演者も知り合いに頼む。知り合いとはいえスカウトする作業も結構おもしろい。だいたいサークルで上映会やるとなると数本の短編で監督は変わるが出演者が一緒で面白くない。そこは脚本の腕の見せ所といえなくもないが、役者志願というより相互援助という感じでお互いに監督だったり役者だったりで演技も限界がある。だったら新鮮なほうがいいだろう、と思ったのかもしれない。だいたい慣れた人の演技って面白くない。そういう映像そのものに対する距離感があったせいか。
結果として状況だけ説明して演技してもらう。「・・・という設定で。いいかな?」この「いいかな」には自分の自信のなさが表れている。そして相手の反応を見ながらいろいろ考えをめぐらす。相手にすべてを任せきるというのは勇気がいるものだ。フィルムと違って気楽に撮り直せるビデオだとしても。
意外な人が面白かったりした。映画好きが芝居うまいとは限らないんだ、とくに即興という点も。映画好きの役者のうまさと素人のうまさ、それぞれの面白さ。そんな発見があった。
出来た作品には二つの見方がある、物語としてと、即興として。とはいえ、上映の時はいちいち「これは即興なんです」とは説明しない。しなければいけないような物はそもそも面白くない。別の機会に編集前の素材を見せたら「これ即興だったんだあ」という反応で、なるほどそういう楽しみ方があるのかと改めて気付く。
上のビデオも、即興一発撮りだと思うとなぜか緊張してなかなか直視できないな。そんなことないですか。
さすがになんの設定もなしというのはやったことがない。自信のなさか、手抜きと取られるのもいやだったのかも。ある種の現代芸術のようになにもしないとか途中でやめた物を作品ですと提示するのは勇気がいる。反発された時の反論を考えてしまう部分はある。
人に任せきるという難しさは仕事にもあるかも。


ジャズが終わった時の拍手は即興そのものへの拍手で、ポップスの場合は楽曲などに対するもの、生でもリップシンクでも関わらず。(とかいちいち考えて拍手しないけど。)「即興」とか強調しない。したら冗長になる。
あえて強調しない美学、逆に説明も含めて作品として楽しむ現代美術のようなものもある。それぞれ。