新潟で

地震のトンネル崩落救助現場を遠くに見てきました。なにかこう、熱くこみ上げるものがありました(使い方あってるか分からない)。人間の非力さというか。ありきたりの表現だけど。
そこを過ぎて、車窓から,左手は田植えの季節の見慣れたのどかな田園風景。
でも右手は一面の田園風景、水のない。だだっぴろい。整地をしている最中、という感じ。今年は間に合わない分かな?
それでも人々は普通に生きているんだろうという感じが、なんとなくずっしりと。
話してるとそんな(話し相手の地震経験)ことはすっかり忘れている自分。


で、地震の話になると「初日に〜〜で、二日目に〜〜」と、延々と語り出しそうな相手を見て,やはり当事者とニュースを遠くで見ただけの者では経験の重みが違いすぎると感じた。